2008年07月17日

スーパー校長

小学校の頃の校長先生は今思うとすごい!
生徒と遊び、花壇の手入れをし、いつ自分の仕事をしていたか謎だ。

しかもブラジルから転校生が来たときはポルトガル語を話し通訳。アメリカ人とふれあい研修みたいなのがあった時も、英語で通訳。

そして、ウィーンから音楽を通じ語ろうみたいなのがあった時は、皆にドイツ語を音楽の先生と教えていた。

何カ国語、話せるんだろ。

うらやましい語学力だったなぁ。

  

Posted by みりん at 01:03Comments(6)TrackBack(0)小話

2008年05月02日

ヒトサライ

あれは私がまだ小学校低学年の頃でした。
東京駅で母が
「トイレに行くから荷物をみていてね」
と言ったので、荷物を盗まれないようずっと見張っていたんです。

そしたら、メガネをかけた細めのおっさんに声をかけられました。

「ポテトチップスあげるから、一緒にこない?」

私には荷物があります。
知らない人にはついていってはいけませんと習いました。
それに私はポテトチップスは嫌いだったので

「ポテチ嫌いだからいい」

と断りました。
だが、おっさんは引き下がりません。

「コーラは飲む??」

私はコーラは体に悪いものと母に散々言われていたし、
炭酸飲料自体嫌いなので
「コーラ嫌いだからいい」
と断りました。

おっさんは、
「なら、何がすきなの?」

と聞いてきたので
「珈琲牛乳」
と答えたら、なんと買ってくれるというじゃありませんか!
これは小学校低学年の私にとっては魅力的です。
危うくついていきそうになったところに、母登場。

「あんた、うちの子になにしてんのーーーーー!!!!」

と第一声、おっさんは逃げていきました。

着いていったら今頃どこにいたんだろ。
死んでいたカナ。  

Posted by みりん at 19:24Comments(6)TrackBack(0)小話

2008年04月23日

ちびと琴ちゃん

小学生の頃のお話。
塾帰りに、柴わんこ(子犬)が捨てられていました。
かわいかったけど、つれて帰ると怒られるので皆、さわるだけでした。
友人の琴ちゃん(仮名)は持っていたポッキーをあげました。

しばらく何も食べてなかったのかおいしそうに食べてました。
私たちは、食べているところを見てそのまま家に帰宅。

だが、琴ちゃんちに柴わんこが着いてきてしまったんです。
彼女の家は、それは広い庭があり犬的にはナイス物件!
だが、ベンというわんこがもういたので飼えないよと母に言われ泣く泣く
元のところに戻してきました。

だが、柴わんこ「ちび」←(いつの間にか命名されていた)
諦めず、ずっと琴ちゃんが塾を終わるまで待ち、家まで着いて行った。
母親も、仕方ないわねーとビニール紐でしばり飼うことに。

めでたし、めでたし。

…と思いきや、琴ちゃんが学校に行っている間に紐引きちぎりどこかにいってしまいました。

その頃、ちびは学校にきていました。
拾ってくれた琴ちゃんをずっと待っていたのです。
一緒に、家に帰り塾も一緒にいき、終わるまでいつも待っていました。
毎日、毎日待っていました。

よほど拾ってくれたのがうれしかったのでしょう。
人に噛むこともなく本当にいいわんこでした。
いじめる人もいなかったしね。
放し飼いはいけないと厳しく言われている今では考えられないけど。


でもって、先客?のベン。

「名前が悪かったのか、肥溜めに落ちて死んだよ。」

と、のちに琴ちゃんが語ってくれました。
…ベン可哀想。  

Posted by みりん at 22:28Comments(6)TrackBack(0)小話

2008年04月08日

3年B組エンジェル先生

私が中学生の頃、「エンジェル」
と呼ばれる科学の男の先生がいました。

何故かというと頭がザビエルはげで、しかも白髪の天然パーマでふわっとした髪型が
まるで天使の輪のようにみえたからです。

そんなエンジェル先生、どうみても60歳は過ぎている。
実年齢は知らない。

体も弱く、授業中によく咳き込んでいました。

そんなある日、エンジェル先生がいつものごとく咳き込み
倒れてしまった!

「早く、保健の先生呼ばないと!」
皆、必死だった。

「本当のエンジェルになっちゃうよー」

こんな大変な時にもこういうことをいう奴っているよね…。

なんとか、助かったのですがしばらく入院していました。

今はどうしているか謎ですが、生きていたら感動します。
  

Posted by みりん at 00:12Comments(8)TrackBack(0)小話